『真面目』じゃダメですか?
こんばんは。
みなさんは、真面目な方ですか?
それとも、少しラフな方でしょうか?
私はというと、、、
たぶん、ブログの内容を見ていただいている方はお分かりだと思いますが、真面目な方だと思います。
自分では、普通でいるつもりですが、人からはよく、「真面目だよね〜」と言われていました。
真面目だよね、と言われて何故かいい気がしませんでした。 なんだか少しバカにされているような気持ちにもなりました。
「真面目なことって、悪いことですか?」
と、聞き返したい時もありました。
どんな事が真面目なのかというと、例えば、
仕事に対する姿勢であったり、期限を必ず守るなど、社会人としての基本であったりします。
それから、物事に取り組む時は、いい加減に取り組むのではなく、一生懸命気持ちを込めて取り組みます。
それは、無意識でしてしまうのです。
ですから、これは、私の強みでもあるのです。
その反対に、一生懸命取り組みすぎて負担がかかり、疲れてしまうことがよくあります。
このように、真面目ということは、私にとって弱みにもなってしまうのです。
真面目であるからこそ、プラスに働いたこともたくさんありますが、マイナスに働いてしまうこともよくあります。
そこで、よく真面目な自分について考えるのですが、私は真面目ではあるけれど、ユーモアや陽気なところもたくさんあり、ギャップがおもしろい、と言われることもよくあります。
ですので、「真面目な私」ではなく、
「真面目なところもある私」と、自分のことを
捉えています。
そう捉えることで、真面目な私を有利に働かせ、強みとして活かすことで、自分を肯定し、どんどんセルフイメージを上げていきます。
ですので、以前は、「真面目」と言われることが、あまり好きではありませんでしたが、今では、褒めてもらっているんだな、と素直に受け取ることができるようになりました。
真面目だけど、くだらないダジャレ好きな私、
そんな自分を結構気に入ってます。
『やる気』と『無気力』
無気力って突然やって来たりします。
どうしてなのか自分でもわかりませんが、突然やって来るのです。
そしてそれが来ると、全体的に負の状態に近づきます。
以前の私は、そこからなかなか抜け出せませんでした。 どうしてそうなるのか、何度も考えてみたりもしました。
でも、これと言った原因がない時があります。
おそらく、、、
何かに疲れているのでしょう。
あるいは、特に原因はないのかもしれません。
仕事や生活の中で、努力をしてても満足感が得られないことがあります。
そんな時が何度も重なって、心の中の何かが削られてしまっているのかもしれません。
また、普通に考えてみたら疲れることなんてしていないのに、ただ人が多い所に行っただけでだったり、誰かと会話をしただけだったり、そんなに大したことをしたわけではなくても、心がすり減るような感覚になったりもします。
それは、他人には分からない私だけの感覚でしょう。
色で例えるなら、深い群青色(ぐんじょう色)
のような気持ちです。
それは、深い海の底にいるような感覚で、暗く潮の流れもなく、静まりかえっている。 でも、鉛のような重さはなく、とても済んだブルーの世界。
そこに、静かに漂っている感覚です。
アンテナが常に立っていて、たくさんの情報を拾ってしまう人は繊細なことで疲れやすく、子育てや、仕事、勉強、介護などは、知らず知らずのうちに、心が疲れてしまう可能性があります。
それら複数をこなす事は、とても労力がいります。
でも、世の中で成功している人や、優秀な方は、恐らくとても心身ともにタフで、同時にいくつものことをやりこなせる人なんだと思います。
それは、とても効率が良く時間を有効に使えることでしょう。
しかも、無気力になるという機会も、少ない方かもしれません。
そんな人になりたい、と何度も思いましたが、
そう上手くはいきません。
それなら、自分のできることをやっていくしかない、そう思いました。
ではまず、やる気がある時の自分を思い出してみると、さてどんな時だったのでしょうか?
それは、
・自分の関わりによって、人が変化していく(成長していく)ことがわかった時。
・自分が成長できることをしている時です。
(あくまでも、興味がある分野で)
では、具体的にはどんなことかと言うと、
いつもはやる気の無い人が、私と話したことで
やる気を出して行動してくれた時。
また、本や勉強で学んだことを、実際に経験し、知識だけではなく、行動で身につけたこと。
これらを文字にしただけでも、なんだかとてもやる気が出てくるのです。
これらを色に例えると、若草色という感じでしょうか。
人によって、やる気が出ることはそれぞれ違うでしょう。
それを見つけるためには、自分の過去について思い出し、どんなことに対してやる気が出たのか、その経験を丁寧に振り返ってみると、そこには共通点が見つかったりします。
ちなみに、他人のやる気の源を見つけ出す作業も、私にとってはやる気が出る瞬間です。
やる気 と無気力をどうコントロールするかは、人生をデザインする上で、とても重要になってきます。
なぜなら、やる気が出る方向が、自分の進みたい道である可能性が高いからです。
みなさんも、やる気と、無気力について、自分の外側から観察してみませんか?
思いを言語化してみる
みなさんは、よく考える人でしょうか。
何かに気づいたり、わかったこと、学んだことを頭の中で終わらせるのではなくて、どんな小さなことでも言葉にして書いてみることは、生きていく上でとても有効です。
頭の中だけだと、小さな気づきはすぐに忘れてしまいます。
辛い失恋や、家族との喧嘩、出産の痛み、仕事での失敗、楽しかった旅行、おいしかった食事、色々とありますが、感情は覚えていても感覚は忘れていたりしませんか?
辛い出来事は、どんな風に思って、どんなことが辛かったのか、具体的には忘れてしまいますよね。
うれしかった出来事は、思い出としてはよく残っているかもしれませんが、その感覚を記憶し、その後の生き方に何か活かすことはしているでしょうか?
辛いこと関にしては、とても辛かった、悲しかったという感情は覚えていますが、どの程度、どんな風に辛かったのかは、なんとなく覚えている程度だったりします。
(これは、個人差があると思いますので、あくまで私の場合でお話ししています。)
苦しく悲しかった経験は特に、私にとって意味のある学びになっています。
その経験を乗り越えて、今に至るからです。
今の私は、苦しみがあったからこそ成り立っている、そう思って生きています。
苦しんだことで気づいたこと、出会えた人、助けてくれた人、たくさんのプラスのことがありました。
苦しみの中にいる時は、そうはなかなか思えないと思います。、、
でもそんな時、感じた思いや、気づいたこと、考えたこと、心に残っていることなどを、自分の心の言葉そのままで、とにかく書き出すのです。ノート1ページがいっぱいになるほど。
足りないようでしたら、何ページでもかまいません。
それを、どんどん重ねていくうちに、また何かを感じてくるでしょう。
そして、時の流れに委ねてみる。
その後、過去に書いた自分の考えを読み返すと、時にとても誇らしく感じることがあります。
いいこと書いてるなぁ、と客観的に自分を見ることができ、自信もつくのです。
また、そんな辛い感情だったんだ、とそのまま受けいれることもできたりします。
自分が書いたことを客観的に見ることは、たくさんの効果があります。
1、自分について冷静に分析できる。
2. 自分の問題点に気づく
3. 自分は思っていたより素敵だと思えて自信がつく
などなど。
そうしているうちに、苦しみが和らいでいたりします。
そして、現在また違う苦しみがあったとしても、苦しみを乗り越えた経験があることで、きっと大丈夫また乗り越えられる、と思えてきます。
私は、何度となく、気づきや思いを言葉にしたことで、苦しみを乗り越えられました。
特に、自分を励ます言葉は、魔法のような気がします。
それは、一度だけでなく何度も励ますことが効果的だと思います。
みなさんも、自分に魔法をかけてみませんか?
「大丈夫!明日は素晴らしい日になる!」
憧れには、ヒントがある
みなさんには、理想はありますか?
羨ましい、いいなぁ、なんか悔しいなぁ、、、
こんな感情になった時は、あなたの理想を見つけるヒントが隠されています。
知り合いや、友人で、〇〇がうまくできて、
羨ましいなぁ。
いいなぁ、あんな風にステキになれたら。。
どうして、あんなに頭がキレるのかな。
誰とでも仲良くできて、話しが面白くて、いいなあ。でもなんか悔しいな。
と、言うような感情を抱いたことは誰にでもよくありますよね。
こんな時は、自分の中の理想や目標が顔を出した時です。
というのは、羨ましいと感じることや、、嫉妬心を抱くことなどは、自分とその人が並んでいる状態なので、心の中では、
「私にもできそうなのに。。。」
「私にも、もしかしてできるのかも」
という気持ちが隠れています。
そもそも、到底できそうもないことに悔しいとは思わないのです。
例えば、運動が苦手な人が、オリンピック出場するような陸上選手などに対して、妬みや嫉妬の感情を抱くでしょうか?
きっと、そうは思はないでしょう。
純粋に、すごいなぁと思うだけではないでしょうか?
でも、陸上を本格的にやっている人は、羨ましいなぁ、すごいなぁ、などの憧れの感情を持ち、悔しいなぁ、あのタイムを抜いてみたいなぁ、と思い、それに向かって頑張るのではないでしょうかり
羨ましい、悔しい、などの感情は、全く眼中にないことではなく、手に届きそうだからこその感情なんだと思います。
そして、自分の理想や望むことが見えない時は、憧れや、羨ましいと感じることがヒントになるでしょう。
ご自分の感情からヒントを探ってみてください。
ヒントを集め理想を見つけることができれば、やりたい事も見えてきます。
やりたい事があるって、本当に幸せなことですよね。
きっと、それが生きるモチベーションになりますよ。
何のために働くのか
みなさんは、何のために働くのか、ということを考えたことはありますか?
現在の大学生の就活は、このとを考えるこたからスタートします。
私の学生時代ではなぜ働くのですか?と聞かれたら、
「働く年齢になったからです。」
と答えていたでしょう。
では、今はというと、
「たくさんの人に、個性を生かして自分自身であることを楽しみながら、充実した人生を送ってもらえるような支援をし、私自身も充実した人生を送るため」
と、答えるでしょう。
(ちょっとわかりづらくてすいません)
もちろん、生活のためでもありますが、
ただ食べていくためだけに働くのでは、長い職業人生を考えると、虚しすぎます。
一度きりの人生、今、この瞬間は二度と来ません。
そう考えた時、あなたは後悔しない過ごし方をしていますか?
後悔しない仕事をしていますか?
明日は生きていないとしたら、今までの人生に満足しているでしょうか。
やり残したことはないでしょうか。
私は、過去にとても苦しい日々を過ごした経験があります。
どん底にいるような辛い経験をすると、もう上がって行くしか進む方向はありません。
ですから、ある意味何でもOKな状態でもあります。
人と比べたところで、既に道から外れた経験がある以上、比べようもないのです。
もともと、人とは何か違うと感じて生きてきた私は、私らしく生きると決めました。
そこで、めいいっぱい私として生きるには、『誰かに必要とされたい』という思いと、『自分を生かしたい』という思いを満たすために働くことなのだと気づきました。
ですので、それを実現できる仕事を探し続けてきたのです。
そうして就いた仕事が現在の仕事で、自分の個性、能力、価値観、興味を満たし、心から充実していると言えます。
また、社会に貢献できたことで、初めて自分の人生を生きていると実感することができました。
これは、何物にも変えられない感覚です。
この感覚は、不思議なことに、自分を愛しいという感情にだんだんシフトしていきました。
何のために働くのかを考えてみると、自分表現することにも繋がります。
また、生きていく方向を設定することにも繋がります。
みなさんも、『何のために働くのか』について
考えてみてください。
きっとそこから、自分の人生をデザインし始めますよ。
『自分も他人も幸せにするために働く。』
私の考えをシンプルにすると、こうなりました。
もれからも、これを目指していこうと思います。
周りはみんな『できる人』に見える
自分の周りは、みんなできる人に見えてしまい、自分の能力のなさ、存在に疑問を持つことはないでしょうか。
私も、もちろんその一人ですか、皆さんも一度は感じたことがあるのではないでしょうか?
人は、学歴、職歴、生まれ育った環境、両親の職業、親戚の学歴、家柄、性格、容姿、特技、成績などについて、何かしら気になるものです。
気にした事がないという人はおそらくいないと思いますが、それほど気にしていないという人はいるかもしれません。
私自身、職場や、学校、その他色々な場所や場面で、何であんなに頭の回転が早いの?、何であんなに上手く話せるのかな?、と自分よりすごいと思ってしまうことがよくありました。
今もですが、以前より格段にそう思う時間は少なくなりました。
自分よりすごいなあと感じるのは、他人に考えの軸があるからなのです。
自分軸で考えてみれば、そもそも今の自分を受け入れているかどうかの話で、他人が、できる人であろうが、できない人であろうが、自分は自分のままです。
それが、他人軸で考えてしまうと、今の自分に満足できずに、他人のできることと比べてしまい、自己嫌悪に陥ってしまうのだと思います。
もっと、自分の得意なこと、できることを軸にして考えてみてはいかがでしょうか。
学歴について
学歴は、経済的な理由や特別な事情を除いて、自分が頑張った通りのものになっていると思うのです。
勉強がもともとできる人、暗記が得意な人は、確かに有利かもしれません。でも、その資質を上手く生かせているのだと思うのです。
では、あまり勉強が好きでなく、成績も普通か悪い方だったとするとどうでしょうか。
それなりに勉強をしてそれなりの学歴かもしれませんね。
でも、もしかしたら、学業だけでは発揮できない違う能力を持っている可能性はあります。
すると、その分野で『すごい人』になれるのは間違いありません。
そもそも、個性、能力やその質は個々に全く違うものです。
しかし、それをある基準を用いて学歴という呼び方でレベル分けをしているのは、自分自身なのかもしれません。
自分で勝手に劣等感を持っているだけなのかもしれません。
人は、色々な能力を持ち合わせています。 でも、上手く使える分野が必ずあるはずです。
右利き、左利きのように、手には利き手があります。
人の資質にも利き手のように、使いやすい能力と、少し頑張ってできる能力があるのです。
こういった利き手の能力を更に伸ばし、強みに変えることで、すべての人が『できる人』になれると私は思います。
学歴だけで人を判断することはできないと言われていますが、未だに多くの人は学歴で判断している人が多い傾向にあると思います。
でもこれからは、個人個人のオリジナリティが能力であることを、もっと評価される世の中になってほしいと、切に願っています。