母の役割
あなたにとって母親とは、どんな存在でしょうか。
数多くキャリアカウンセリングをしてきた中で、
この方のお母さまはどんな方だろう??
と思うことがよくあります。
キャリア形成と親との関係性はとても深く、
特に母の関わり方が大きく影響することがあります。
人間形成のベースの部分を考えてみると、まずは自分のことについて自分で考えることができるかどうか、ということがあげらます。
母親の思い通りに動かされていた人や、逆に母親からほとんど目をかけてもらえなかったような人は、「自分で考える」という能力が欠けているように感じます。
母のいう通りに動くだけでは、
自分の意志、自分の考えを持つ
という機会が奪われ、また、母から目をかけてもらえなかった場合は、安心感を持つことが出来ないために、外の世界へ行きたいという思いに至らず、狭い世界にとどまってしまいがちです。
すると、新しい出来事や、経験をすることも少なくなり、やがて意欲そのものも湧いて来なくなってしまいます。
この状態では、自分の意思を持つ、考えるということさえもでません。
こうなってしまった本人はどうしたらいいのかというと、信頼できるロールモデルを持つか、自分のやりたいと思えることを一緒に探してくれる人を見つけることが、必要になります。
このように、母という役割は、思っている以上に人間形成にはかなり重要な役割なのです。
考えてみれば、勉強や仕事などについて学ぶ機会や場所は、学校やハローワークなどの公的なものであれ私的なものであれ、あるかと思います。
ですが、母親の役割や大切さや子供へのかかわり方など、母親業をを学ぶ場所はあまり思い浮かびません。 探せばあるのだとは思いますが、全国に広く配置されているわけではありません。
子育て相談などはよくありますが、学ぶ場としてはあまりないように思います。
子育ては、子供に焦点を当てていることが多いですが、実は親が親として成長するために学ばなければいけないことが山ほどあります。
誰もが、子供が生まれて初めて親になるのですから、育て上げるまでその年代年代で
親が初心者であることは間違いありません。 しかも、一人として同じ子供はいないのですから。
ですので、親自身が親業を学ぼうという前向きな姿勢は、とても大事になってきます。
母と子は、生まれて初めて経験する、家族というコミュニティです。
まずここで、コミュニケーションの基礎を学び、人と人との関係についても学ぶ大切な場なのです。
多様な生き方の時代を生き抜く子供たちを健全に育てるためには、母親業の基本的なこと、家族の在り方や大切さなどを、じっくりと学ぶ場をつくっていくことが、今、とても必要なのではないでしょうか。
占いを信じますか?
こんばんは。
みなさんは、占いを信じますか?
もしくは、占ってほしいと思いますか?
以前の私は、両方にあてはまりました。
では、どんな時に占いに興味があったかと言うと、自分の置かれている状況に満足できなかったり、強く望んでいることがなかなか叶わなかったり、他人の幸せが羨ましかった時でした。
そんな私が占いを信じたのは、
『きっと今の状況から抜け出せる』
『これからいいことが起こる』
と、前向きに考えることができたからかもしれません。
それと同時に、自分が何かをするのではなく、良いことが起こることをひたすら待っていただけでした。
行動したとしても、占いでこうした方がいいと言われたことを、試してみる程度でした。
また、マイナスなコメントが占いに書いてあった時はひどく落ち込んでしまい、見なければよかったとよく後悔したものです。
そんな受け身の状態では、いい事が起こるはずもありません。
そして、何度もこの経験を重ねていくうちに、占いに振り回されるのはもういやだと思うようになりました。
占いを否定するつもりはありませんが、誰かが言ったことを鵜呑みにして、その通りに行動することは、なんだかおかしいな、と感じるようになったのです。
要するに、自分の考えで動くのではなく、他人の意見で動くということは、ロボットと同じく、意思のない人間と同じだと感じたのです。
自分の意志ではなく他人の考えで行動したら、もしも失敗したとしても、他人のせいにできるのですから、自分は傷つかなくて済みます。
そうやって、自分で行動し責任を負うことから、私は逃げていたのかもしれません。
傷つくのが怖かったのです。
当時は全くそんな考えはなかったつもりでいても、心の奥底の無意識の状態は違っていたのです。
自分との対話ができるようになった今は、過去の自分の見えなかった部分がたくさん見えるようになってきました。
でも、過去の未熟な自分がたくさんの悲しみや苦しみを経験してくれたおかげで、今の自分がいて、いろいろな気づきがあるのだと思います。
人生、全ては学びだと改めて思う今日この頃です。
占いは楽しむ程度にして、行動は自分の意志で。
そうやってこれからも自分の人生をデザインし、自分自身でつくり上げていこうと思います。
誰のために何をする?
こんばんは。
みなさんは、『誰かのために何かをする』としたら、
誰(どんな人)のために、どんなことをしたいと思いますか?
仕事をするということは大きな意味で言うと、
誰かのために何かを提供する
ということです。
そして、どんな社会にしていきたいと思うかが(どの分野で)、仕事を選ぶうえで とても重要になってきます。
大学生のキャリアカウンセリングを行う際には、私はいつもこの質問を投げかけています。
既に社会に出ている方は、仕事を選ぶ際にまずは福利厚生や給与などの待遇から選ぶ方は多いと思いますが、誰かのために働くと考えた場合、どんな人の役に立ちたいと思うでしょうか?
人は、自分のためだけに働くよりも、誰かに喜んでもらうために働いた方が、やりがいはとても大きく感じるはずです。
もちろん、自己成長という意味ではやりがいを感じることもありますが、長期間自分の成長だけのために働くのは、少し虚しい気がします。
そして、どんな社会にしたいかは、とても大きなことのように感じますが、その考えが持てるか持てないかで、働くモチベーションは大きく変わってくることでしょう。
例えば、『ITを用いることで生活が豊かになるような社会にしたい』
という考えであれば、IT業界で働くことが、叶えたい社会をつくる近道だと言えます。
このように、自分の興味・関心・能力と、どんな社会にしていきたいかということを両方満たす仕事が、あなたのやりたい仕事と一致している可能性は高いと思います。
生活が苦しく、生きていくためにただ働くという戦後の厳しい時代から、ゆとりのある生活の中で、いかに充実した働き方をしていくかを考える時代に変化してきました。
そして、これからは個人個人が他者のために何かを提供し、それを生きがいにしていく働き方になっていくことが、成熟した社会へと繋がる要だと、私は思います。
どんな人へ何をするか、その仕事は何なのか、
みなさんも、考えてみてはいかがでしょうか。
ニュートラルな状態へ
こんばんは。
何かしたい、なんとかしたい、そんな気持ちなのに、どうにも動く気がしない。
そんな時が、私に度々訪れます。
どうしてこんなになまけものなんだろう。
ダメ人間な気がする。
自分をこんなマイナスなイメージに捉えてしまった時が、みなさんも一度は経験があるのではないでしょうか。
スマホやパソコンで、ネットを検索していたり目的もなくYouTubeを見てしまうことがありますよね。
ダメなことだと分かっているのにやめられなくて、後悔してしまうなんてことがあるのではないでしょうか。
現代社会の多くの人々は、スマホに心を奪われて、自分を自分で動かせなくなってしまっているように思えます。
電車に乗っていて、スマホを見ていない人は同じ車両で果たして何人いるでしょうか。
私は、あえてスマホは電車で見ていません。
なぜなら、暇つぶしに必要のない情報をインプットしたくないからです。
現在の生活では。普通に暮らしているだけで、情報は沢山入って来てしまい、脳が疲れている状態に気づかないことがあります。
そんな状態をできるだけ避けたいのです。
たまには思考をストップして、頭の中をニュートラルにしなければ、脳はパンク状態になりかねません。
ましてや、子供にとっても情報過多で、頭でっかちになってしまっているように感じます。
知識は昔の子供に比べてたくさんあるのかもしれませんが、いい意味での子供らしさがなくなってきている気がします。
子供らしさとは、無邪気なところや、素直さ、純粋さ、といったような部分です。
子供が子供らしく過ごせることは、後々の生き方に大きく影響してくるでしょう。
知識だけが独り歩きをし、経験がないのに関節的に得た知識だけで話すような大人になってしまう可能性もあります。
子供時代は、人間形成の土台となる時期です。ですから、スマホやパソコンは、子供にとっていいものだと答える人は、ごくわずかだと思います。
にもかかわらず、大人でさえも、そのスマホに囚われてしまっているのです。
一日、スマホを家に忘れてしまったとしたら、いつもと変わらず過ごせるでしょうか?
多くの人が、なんとなく不安な気持ちや、落ち着かない気持ちになるのではないでしょうか。
スマホがなかった時代、みなさんは、どのように過ごしていたか、思い出せますか?
私は、はっきりと思い出せます。
情報に振り回されることはなく、もっと自分の頭で考え、心で感じる毎日でした。
五感をふるに活用し、季節も肌やにおいで感じ、見たい景色は画面上ではなく実際に見に行ったり、おいしいお店も口コミなどに左右されず、自分の足で確かめに行っていた気がします。
今は、コロナの影響で助かっていることはたくさんありますが、メリットだけではなく、デメリットもたくさんあることを知ったうえで、正しく使う必要があるのではないでしょうか。
小さな画面の世界のだけで完結してしまうことは、自分が動くことを忘れてしまいがちです。
常に情報を浴びている受け身の状態にいるということを忘れずに、たまには心をニュートラルにして自分で自分を動かしていきたいものですね。
心の距離
こんばんは。
人と様々なお付き合いをしていると、ある人とは何故だか分からないけど、とても親近感をもって接することができることがあれば、ある人とは何年も一緒の環境にいるのに、いつまでもよそよそしかったりする事があります。
みなさんも、そんな思いをしたことはないでしょうか。
人間関係で悩む方が多いのは、人と人との心の距離をうまくコントロールできていないからだと思うのです。
人間関係がうまくいくためには、相手との信頼関係がとても大切です。
少し厳しいことを相手に言わなくてはならない場面では、信頼関係が出来上がっていない段階で言うと、おそらくあまりいい関係にならないでしょう。
一方、お互いに信頼しあっている関係では、多少厳しいことを言ったとしても、受け入れてもらえていい方向に事が進むこともあります。
このように、同じことを言われても、言う人が違えば感じ方も違います。
例えば、ある人から、
「〇〇さんって、個性的だよね」と言われて
??? それってどう言う意味?
と思うこともあれば、
違う人から言われたら、
私って、個性的で魅力があるのかしら?
と思うこともあるでしょう。
これは、信頼関係があるかないかと言うことに関係するのと同時に、その人との心の距離感みたいなものがあるのだと思います。
自分が好意的に思う人には心の距離は近いでしょうし、なかなかうちとけられないと感じる人とは、心の距離は遠いと言えます。
でもそれは、もしかしたらこちらが一方的に距離を感じているだけかもしれません。
そして、その感じ方は少なからず相手にも伝わってしまいます。
そうであるならば、常に相手の心に近づこうとしていれば、実際の関係も近くなっていくことがあると私は思います。
それから、一人で寂しいと感じたときや、誰かに側にいてほしいと感じるときにも心の距離を自の中で縮めてしまうのも効果的です。
あの人がいつも側にいてくれいる、応援してくれている、見守っていてくれていると、ただ感じるだけで、安心した気持ちになれることがあります。
本当は、自分の心は自分だけが自由に動かせるのです。 想像の中では、自分の都合のいいように実現できてますよね。
それなら、わざわざ辛い心にするのではなく、
たくさんの人との心の距離を自分の中で勝手に縮めて、温かい気持ちになってしまいましょう。
実際の関係は、後からきっとついて来てくれますよ。
みなさんも、自分と人との心の距離をコントロールして、どんどん幸せを感じていきませんか?
勇気を出して
こんばんは。
先日私は、新たな一歩を踏み出しました。
それは、リスクを伴うことに挑戦しようと決めたことです。
ここ2年ほど、自分の中で足踏み状態でしたが、コロナがきっかけで世の中が大きく変化してきている今、自分も大きく変化する時期なのかもしれない、と、覚悟を決めました。
今までも、少しずつは前進してきたつもりですが、自分から大きく攻めていたかというと、そうではなく、波に乗って流されていたように思うのです。
大きく攻めるというのは、大きなアクションをとったのか、という意味で、別の言葉で言えば、自分にとっての大きなチャレンジ(賭け)なのです。
チャレンジや賭けには、『失敗』はつきものですが、
失敗は失敗ではなく、経験のひとつです。
これは、私自身がよく相談者の方に言っていた言葉です。
では、自分自身はどうだろうか??
振り返ってみると、実は失敗したくない、という思いが、心の奥底にあったことに気づいたのです。
確かに、前進はしていましたが、安全な道を選択していた為に、進む速度は遅かったかもしれません。
自分が目指す目標が、なかなか見えて来ないことに度々焦りを感じ、焦ってはいけないとまた自分を否定してしまうのです、
こうして文字にすると、どう考えてもマイナスの考え方ですね。
自分では、ずっとプラス思考でいたつもりでしたが、心のどこかでブレーキを踏んでいたのですね。
でもそれはそれでいいと思います。
そんな自分もOKです!
4月から、新たな領域に入りましたが、思っていたよりも未知な世界ではなく、一部は知っている世界でした。
飛び込んで見なければわからない
今は強くそう思います。
私は、気がつくと自分を追い込む癖があり、今の自分はまだまだだと思いがちですが、なんだかんだ上手くやっていけてる自分を、ちゃんと認めてあげようと思います。
そして、これから勇気を出して、新たな挑戦をしますが、楽しみながら進めて行こうと思っています。
もちろん、不安はあります。
でも、ひとまわり大きくなった自分をイメージしたら、ワクワクしてきます。
ちょっとしたことがきっかけで、自分の考えが大きく変わったりします。
今回の挑戦はそれに当てはまり、予期せぬ出来事なのかもしれません。
でも、何かが私を後押ししている、そんな気がしてなりません。
この直感を信じて、チャンスをつかんでいこうと思います。
『自己紹介』できますか?
こんばんは。
今日は自己紹介についてお話しようと思います。
子供の頃や学生時代の自己紹介や大人になってからのプライベートでの自己紹介、就活中の自己紹介、転職するときの自己紹介、と、様々な場面での自己紹介があると思いますが、どんな時であっても、突然「自己紹介してください」と言われると、なかなか言葉が出てこないことがありますよね。
以前の私は、自己紹介がとても苦手でした。
なぜ苦手だったのかと思い返すと、注目されることが苦手だったのと、気の利いた話やエピソードがなかったことや、自分に対してネガティブな思いがあったからです。
そんな時、スラスラと自分について語る方がいると、とても羨ましく思ったものです。
今は、「そのままの自分でも全然いいのに」と思えるようになりましたが、その時は、素敵に見られたい、興味を持ってもらいたい、という思いが先行して頑張っている自分をみせようとしていた気がします。
でも、今は何を言おうかと迷うほど話たいことがたくさんあったりします。
それは、自己分析をとことんしてきたからかもしれません。
そして、自己イメージをプラスにとらえられるようになったことも大きいと思います。
自己分析って、難しく感じるかもしれませんが、簡単に言うと、自分のことを知るたために、自分を客観的に見て理解していく作業
なのです。
みなさんは、他人に自分をどんな人だと説明しますか?
これからは、個人の活躍の時代です。
自分自身の価値に気付き、アピールしていく時代です。
そのためにできることは、まずは自分がどんな人なのか伝えられるようにすることです。
自己紹介をするとしたら何と言うか考えてみませんか?
多くの人に自分の価値をわかってもらえるには、何と言いますか?
大人になってからの自己紹介は、意外な自分を知るきっかけになるかもしれませんよ。