人生での役割は一つではない②
こんばんは。あっという間に12月になり、今年もあと1ヶ月となってしまいました。
今年は、コロナで大きく生活が変化し、対応に追われて慌ただしく過ぎてしまった方がほとんどではないでしょうか。
さて、今回は前回の続きとなりますが、人生での役割について、また別の視点から考えてみたことをお伝えします。
前回は母親としての役割についてでしたが、今回は、子(娘)としての役割についてです。
現在、私は高齢の両親と同居しており、
『老い』と、毎日起こる変化に娘として向き合っています。
両親の『老い』は、今まで経験したことのない悲しさと寂しさをを感じます。
娘として、それは受け入れなくてはいけないことですので、毎日が葛藤の日々です。
老いて欲しくないという思いと、誰しもが必ず経験することなんだという思いの狭間で心が揺れ動いているのです。
ですが、そんな思いを抱きながらも、日常は過ぎていきます。生活をしなくてはなりません。
母は、以前はできていた料理でも、少しずつ出来ないことが増えてきました。
『娘として母に何ができるだろうか』
そう思った時に浮かんできたのは、
一緒に過ごす時間を大切にしよう、という思いでした。
いつかは一緒にいられなくなる、であるならば、母との時間を一瞬一瞬大切に過ごすことが
一番なのではないかと思いました。
大切にするというのは、例えば一緒に料理をしたり、出かけたり、庭の掃除をしたりと、本当に普通の日常生活をしながら、それができることに感謝をするのです。
今、この瞬間は、二度と戻りません。
ですから、一緒にいられる幸せをかみしようと決めました。
娘の役割、、母親の役割、それぞれの役割をバランス良くこなしていくことが、人生をより良く生きることに繋がると私は思っています。
みなさんも、自分の人生の役割について、じっくり考えてみてはいかがでしょうか。
二度と戻らない時間を、幸せでいっぱいにしませんか?
人生での役割は一つではない
こんばんは。
またまたしばらくぶりになってしまいました。
読者のみなさまには、引き続ききていただけて、とても感謝しております。
さて、ここのところ、私は人生での役割をいくつも担っているなぁと感じる毎日です。
と、いいますのは、私は、ある1人の女性でありますが、それだけではなく、現在、組織の一員としての職業人であることや、母として息子を育てる役割と、高齢の両親のお世話をする娘としての役割の、大きな3つの役割があります。
どれも私ですが、その役割によって、周りの人への接し方が変わってきます。
そして、一番適した接し方を意識する必要があります。
当たり前といえば当たり前ですよね。
でも、改めて意識しながら過ごしている人は少ないのではないでしょうか。
私自身は、息子の中学受験や両親の老いに対応するためには、これらをきちんと意識することが、とても重要だと感じています。
ではまず今回は、母としての役割について、お話ししようと思います。
息子は、来年2月に中学受験を控えており、追い込みに入ってきました。
それまでも親子の間では、いろいろなやりとりがあり、そのひとつひとつの関わり方は試行錯誤の毎日です。
勉強をやらせるにも、伝え方がとても難しいと感じる日々です。
そんな息子は、どのくらい1人でできるのか、また、出来ないことは本当にできないのか、またはやる気がないだけなのか、そのあたりが正直よくわかりません。
そういった状況で一番難しいと感じるのは、子供に任せっきりでもダメですし、かまいすぎてもダメだというところです。
ちょうどいいさじ加減でこれらを調整することこそが、母親の役割の一番大切なところなのでしょう。
こうした母としての役割をこなす中で、気づいたことがたくさんあります。
例えば、子供に対するさじ加減の必要性は、キャリアコンサルティングをする上でも同じことが言えるのです。
クライアントに対して、援助しすぎてしまうと依存の傾向がでますし、任せっきりでもなかなか自分で行動できなかったり、うまく事を運べないこともあります。
こうならないためには、クライアントへの支援は絶妙なさじ加減が必要なのです。
いずれにせよ、当人がやりたいと思い、意思決定をして行動できるように支援をするということは、いわゆる、『母としてのスタンス』がとても大切だということに気づきました。
このように、私の母としての経験は仕事に役に立つことがあり、また、仕事でのキャリアコンサルタントとしての役割が、母親業に役に立つこともあるため、いいサイクルで人生の役割を果たしているなあと、実感する日々なのです。
さて、みなさんは現在、人生においてどんな役割を担っていますか?
その複数の役割を相互に活かしあって、いいサイクルで人生をつくっていけるといいですね。
素直さという強み
こんばんは。
ここのところ、私生活が忙しく、少し久しぶりになってしまいました。
なるべく定期的に書いていきたいという気持ちはあるのですが、なかなか実行するのは難しいですね。
でも、ブログを書かなくては、、というプレッシャーを自分にかけてしまうと、始めた頃の、『自分の思いを誰かに伝えたい』という純粋な思いから外れてしまいそうになるので、こんな時もありかも、と思うようにしています。
さて、今日、私の中に浮かんだ思いは、
「素直さ」という強み
についてです。
子供の頃から、よくご両親から、「もっと素直になりなさい」
と言われていた方もいるかもしれませんが、親となった私自身も、
よく息子に言っている言葉です。
では、素直とは、どういうことでしょうか??
私が思うに、
「他人の言うことをすんなり受け入れ、自分の中のに良いこととして吸収すること」
だと思うのです。
人は、幼い頃は比較的素直だと思いますが、成長とともに自我が芽生え、自分自身の価値観も固まっていきます。
そうなると、他人の言っていることや、考え方になかなか共感できなかったり、自分の思いや、やりたい方法などを譲れなくなってくることも増えてきます。
それ自体が悪いわけではありませんが、度を越えてしまうと、次のような弊害が出てくる場合があるかもしれません。
・相手とのコミュニケーションがうまくとれない。
・信頼関係が築けない。
・自分を成長させることができない。
・挫折から立ち直ることができない。
考えれば、もっといろいろあると思うのですが、とりあえず、すぐ浮かんだのは上記のようなことです。
違う意見についてや、考えは、自分にはない考え方であるため、積極的に取り入れ、吸収できるものは自分のものにしてみる。
ですから、素直に受け入れる姿勢、は、自分の成長にとても有効であると共に、様々な困難にも柔軟に対応できるようになるのです。
もしも、取り入れてみて自分にあわなければ、良い部分だけでも利用してもいいと思います。
または、とリあえず言われた通りにやってみるというのもいいでしょう。
それでうまくいけばラッキーなのですから。
自分のこだわりや、やり方に固執しすぎて、頑固になってしまうことなく、
しなやかな心で物事をとらえる。
そして、意地や見栄をはることなく素直になれることは、最大の強みだと私は考えます。
みんさんも、「なるほどね~。それもありかもしれない。」という言葉を意識的に使って、『素直さ』を身に着けてみませんか?
『当たり前』に目を向けていますか?
こんばんは。
今日はどんな1日でしたか?
私は、当たり前のことかが永遠に続かないと実感した日でした。
いつも元気だった両親も、老いていく様子を少しずつ側で感じ、今日も一緒に病院にも付き添い、その時の何気ない会話から、あとどれくらいこうしていられるだろうか、とふと思いました。
そんなふうに、当たり前だと思っていたことをもしも失うことになったら、、、
その大切さを実感することになるのでしょう。
でも、失ってからでは遅い時もあります。
だから、後悔しないためにも、日々の当たり前に目を向けて、もしもこの人がいなかったら、もしも、このことがなかったら、と考えてみることで、丁寧な暮らしをすることができると思うのです。
丁寧に暮らし、丁寧に生きる。
これは、決してちゃんとしなくちゃいけない、とかではなく、ひとつひとつの出来事などを実感しながら生きる、ということです。
私は、いろいろなものを失いました。
自分から手放したものもあります。
止むを得ず失ったものもあります。
でも、ひとつとして、後悔はありません。
人生は。その時その時の選択の連続てすから、
ひとつの選択の積み重ねで今の自分がいます。
であるならば、自分の心のままに進み、やりたいことを選んでいく。
誰かに言われたのではなく、自分の直感から選んでいくのです。
そんな生き方をしてる人をみると、自分自身を楽しんでいるなあ、と感じます。
反対に、失ったからこそ、自分にとって本当に大切なものだったと気づく場合もあるでしょう。
でも、それは大きな学びとなって、今後の生き方にきっと役に立ちます。
いえ、絶対に生かそうと決めるのです。
何気ない土曜日の過ごし方から、また新たな気づきを得たことに感謝です。
さて、みなさんにとっての『当たり前』はなんでしょうか。。
母の役割
あなたにとって母親とは、どんな存在でしょうか。
数多くキャリアカウンセリングをしてきた中で、
この方のお母さまはどんな方だろう??
と思うことがよくあります。
キャリア形成と親との関係性はとても深く、
特に母の関わり方が大きく影響することがあります。
人間形成のベースの部分を考えてみると、まずは自分のことについて自分で考えることができるかどうか、ということがあげらます。
母親の思い通りに動かされていた人や、逆に母親からほとんど目をかけてもらえなかったような人は、「自分で考える」という能力が欠けているように感じます。
母のいう通りに動くだけでは、
自分の意志、自分の考えを持つ
という機会が奪われ、また、母から目をかけてもらえなかった場合は、安心感を持つことが出来ないために、外の世界へ行きたいという思いに至らず、狭い世界にとどまってしまいがちです。
すると、新しい出来事や、経験をすることも少なくなり、やがて意欲そのものも湧いて来なくなってしまいます。
この状態では、自分の意思を持つ、考えるということさえもでません。
こうなってしまった本人はどうしたらいいのかというと、信頼できるロールモデルを持つか、自分のやりたいと思えることを一緒に探してくれる人を見つけることが、必要になります。
このように、母という役割は、思っている以上に人間形成にはかなり重要な役割なのです。
考えてみれば、勉強や仕事などについて学ぶ機会や場所は、学校やハローワークなどの公的なものであれ私的なものであれ、あるかと思います。
ですが、母親の役割や大切さや子供へのかかわり方など、母親業をを学ぶ場所はあまり思い浮かびません。 探せばあるのだとは思いますが、全国に広く配置されているわけではありません。
子育て相談などはよくありますが、学ぶ場としてはあまりないように思います。
子育ては、子供に焦点を当てていることが多いですが、実は親が親として成長するために学ばなければいけないことが山ほどあります。
誰もが、子供が生まれて初めて親になるのですから、育て上げるまでその年代年代で
親が初心者であることは間違いありません。 しかも、一人として同じ子供はいないのですから。
ですので、親自身が親業を学ぼうという前向きな姿勢は、とても大事になってきます。
母と子は、生まれて初めて経験する、家族というコミュニティです。
まずここで、コミュニケーションの基礎を学び、人と人との関係についても学ぶ大切な場なのです。
多様な生き方の時代を生き抜く子供たちを健全に育てるためには、母親業の基本的なこと、家族の在り方や大切さなどを、じっくりと学ぶ場をつくっていくことが、今、とても必要なのではないでしょうか。
占いを信じますか?
こんばんは。
みなさんは、占いを信じますか?
もしくは、占ってほしいと思いますか?
以前の私は、両方にあてはまりました。
では、どんな時に占いに興味があったかと言うと、自分の置かれている状況に満足できなかったり、強く望んでいることがなかなか叶わなかったり、他人の幸せが羨ましかった時でした。
そんな私が占いを信じたのは、
『きっと今の状況から抜け出せる』
『これからいいことが起こる』
と、前向きに考えることができたからかもしれません。
それと同時に、自分が何かをするのではなく、良いことが起こることをひたすら待っていただけでした。
行動したとしても、占いでこうした方がいいと言われたことを、試してみる程度でした。
また、マイナスなコメントが占いに書いてあった時はひどく落ち込んでしまい、見なければよかったとよく後悔したものです。
そんな受け身の状態では、いい事が起こるはずもありません。
そして、何度もこの経験を重ねていくうちに、占いに振り回されるのはもういやだと思うようになりました。
占いを否定するつもりはありませんが、誰かが言ったことを鵜呑みにして、その通りに行動することは、なんだかおかしいな、と感じるようになったのです。
要するに、自分の考えで動くのではなく、他人の意見で動くということは、ロボットと同じく、意思のない人間と同じだと感じたのです。
自分の意志ではなく他人の考えで行動したら、もしも失敗したとしても、他人のせいにできるのですから、自分は傷つかなくて済みます。
そうやって、自分で行動し責任を負うことから、私は逃げていたのかもしれません。
傷つくのが怖かったのです。
当時は全くそんな考えはなかったつもりでいても、心の奥底の無意識の状態は違っていたのです。
自分との対話ができるようになった今は、過去の自分の見えなかった部分がたくさん見えるようになってきました。
でも、過去の未熟な自分がたくさんの悲しみや苦しみを経験してくれたおかげで、今の自分がいて、いろいろな気づきがあるのだと思います。
人生、全ては学びだと改めて思う今日この頃です。
占いは楽しむ程度にして、行動は自分の意志で。
そうやってこれからも自分の人生をデザインし、自分自身でつくり上げていこうと思います。
誰のために何をする?
こんばんは。
みなさんは、『誰かのために何かをする』としたら、
誰(どんな人)のために、どんなことをしたいと思いますか?
仕事をするということは大きな意味で言うと、
誰かのために何かを提供する
ということです。
そして、どんな社会にしていきたいと思うかが(どの分野で)、仕事を選ぶうえで とても重要になってきます。
大学生のキャリアカウンセリングを行う際には、私はいつもこの質問を投げかけています。
既に社会に出ている方は、仕事を選ぶ際にまずは福利厚生や給与などの待遇から選ぶ方は多いと思いますが、誰かのために働くと考えた場合、どんな人の役に立ちたいと思うでしょうか?
人は、自分のためだけに働くよりも、誰かに喜んでもらうために働いた方が、やりがいはとても大きく感じるはずです。
もちろん、自己成長という意味ではやりがいを感じることもありますが、長期間自分の成長だけのために働くのは、少し虚しい気がします。
そして、どんな社会にしたいかは、とても大きなことのように感じますが、その考えが持てるか持てないかで、働くモチベーションは大きく変わってくることでしょう。
例えば、『ITを用いることで生活が豊かになるような社会にしたい』
という考えであれば、IT業界で働くことが、叶えたい社会をつくる近道だと言えます。
このように、自分の興味・関心・能力と、どんな社会にしていきたいかということを両方満たす仕事が、あなたのやりたい仕事と一致している可能性は高いと思います。
生活が苦しく、生きていくためにただ働くという戦後の厳しい時代から、ゆとりのある生活の中で、いかに充実した働き方をしていくかを考える時代に変化してきました。
そして、これからは個人個人が他者のために何かを提供し、それを生きがいにしていく働き方になっていくことが、成熟した社会へと繋がる要だと、私は思います。
どんな人へ何をするか、その仕事は何なのか、
みなさんも、考えてみてはいかがでしょうか。